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錦織圭と、日本人の武士道精神

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先頃、フランスのパリにてテニスの全仏オープが行われました。
錦織圭選手も、並み居る強敵を倒してベスト8という素晴らしい成績を収めました。

 

その錦織圭選手の試合の中で、非常に注目されたシーンがありました。
準々決勝の世界ランク1位のマレー選手との試合ですが、出だし好調だった錦織圭選手は第1セットを先取します。ところが第2セット、マレー選手の反撃にあい、なんとかタイブレークまでは持ち込んだのですが、結局このセットを奪われてしまいます。

 

第2セットの途中、それまで決まっていたショットが、マレー選手の調子が上がってきたことによるプレッシャーからか、だんだんと決まらなくなり、苛立ちもピークに達して、錦織圭選手はラケットをコートに叩きつけて破壊してしまいました。

 

これにテレビやネットなどのメディアが飛びつきました。
もちろん、ラケットを破壊するなどという行為は、見ていて気持ちのいいものではありません。
道具を大切に扱わない人は一流にはなれない、的な意見を持つ人もいるでしょう。
しかしながら、トップ選手との試合は我々凡人の計り知れないギリギリの緊張感の中で行われているのだろうなあと思うと、致し方ない部分もあると思います。

 

そういう理解を少しは示して上げればいいのに、ここぞとばかりに「マナーに反する酷い行為だ」とか「錦織圭はよくやるんだよ」とか(実際にはほとんどやらないのに。)「だからトップになれないんだ」とか、もう言いたい邦題です。どこぞのテレビの朝の番組では、テニスのテの字も知らない野球解説者が「喝!」とか言うし。

 

なんで錦織圭選手がラケットを壊すと、こんなに言われるのだろう?

 

 

例えばプロ野球ならば、チャンスでヒットを打てなかった!と言って凡退した選手がバットを折るシーンとかって、もっと頻繁にありますよね。
ラケットを折るのもバットを折るのも、同じだと思うのですが、それでも、バットを折った野球選手がこんなに世間から叩かれることはないでしょう。

 

なんで野球ではOKで、テニスではNGなんだろう?

 


というのが、ここ最近ずーっと疑問でした。

 


その結果、ひとつの考えに到達しました。

 

「テニスは武士道である!」という考えです。


もっと正確に言えば、
「我々日本人は、テニスは武士道を具現化したスポーツである、という無意識の視点で錦織圭選手の試合を見ている」
ということなんです。

 


戦国時代の武将が戦場で敵と相対する時は、当然、生死をかけたギリギリの緊張感の中にいると思います。
そんな中で、自分の太刀が相手に当たらないからと言って、刀を折ったりはしませんよね。
刀を折る、刀を捨てる=戦に負ける=死を意味するわけですから、絶対にそんなことはしないでしょう。

 

日本人のDNAには、この精神が刷り込まれているのではないか、と思うわけです。

 

テニスのように、選手が1対1で道具を持って競うスポーツは、武士が戦場で敵と一戦まみえるのと同じ、という無意識下の意識のもとで、日本人はスポーツの試合を見ているのではないかと思うのです。

 

ラケットを折る=刀を折る=戦に負ける=死、という無意識の連鎖が脳内で起こるために、錦織圭選手のラケットを折るという行為に対して、それは絶対に許されざる行為だとして、日本人は過剰なまでの反応をするのではないでしょうか。

 

もちろん、「マナーに反する行為だから」という明確な意識は存在すると思います。
(日本人はその「マナー」についても過剰に反応する民族ですからね。)
ただ、その明確な意識の裏側で、無意識の脳内連鎖が起きているため、意識的な反応を増長させている部分があるのではないか、ということです。


「野球ではOK、テニスではNG」というのは、野球が集団で行うスポーツであるため、脳内で「武士道の具現化」という発想に至らないのではないかと思います。

 

いかがでしょうか。
自分的には、このような理由づけができて、ある程度スッキリした気分です。


ご意見あれば、お聞かせください。