はじめに
「明日の20日は彼岸の入りです。」なんてニュースで言ってたりしますが、
「なに?彼岸の入りって!」
「て言うか、そもそも彼岸ってなに?」
という方もいるのではないでしょうか。
付け焼き刃的ですが、ちょっとだけ教えちゃいますね。
彼岸とは
仏教の話になりますが、生死の海を渡って到達する悟りの世界を彼岸(直訳すると、向こう岸=あの世)といいます。
一方、私達が今生きている、苦悩や煩悩に満ちた世界を此岸(しがん、直訳するとこっち岸=この世)といいます。
古来より、彼岸は西方に、此岸は東方にあると信じられ、太陽が真東から昇り、真西に沈む春分の日と秋分の日に、彼岸と此岸が最も通じやすくなると考えられ、その時期に先祖の供養をするようになりました。
このように、彼岸には春の彼岸と秋の彼岸があります。
春分の日を春彼岸の中日、秋分の日を秋彼岸の中日として、その前後3日間を合わせた合計7日間を彼岸と呼んでいます。
【2017年の秋彼岸】
9月20日 → 彼岸の入り
9月23日 → 彼岸の中日(秋分の日)
9月26日 → 彼岸明け
ちなみに、お彼岸は仏教用語ではありますが、日本独自の行事です。
春分の頃には豊作を願い、秋分の頃には収穫を感謝するという自然信仰と仏教の教えとが結びつき、日本人の生活の中に「お彼岸」が定着していったと言われています。
彼岸には何をする?
先祖や故人の供養をする
お彼岸には、一般的には先祖や故人の供養を行います。
お墓参りに行ってお墓を綺麗に掃除したり季節の果物や「おはぎ」などのお供えをしたり、仏壇や仏具の掃除を念入りに行ったり、普段忙しくてなかなかできないことにちょっと時間を割いてみたら良いと思います。
自身の行いを顧みる
仏教では、彼岸の期間は自らが「此岸」から「彼岸(=悟りを得た境地)」に達することができるように、「六波羅蜜(ろくはらみつ)」という善行、修行に励みましょう、という意味があります。
「六波羅蜜」とは、
心掛け | 読み | 意味 |
---|---|---|
布施 | ふせ | 人のために善い行いをすること |
持戒 | じかい | 本文お忘れずにルールを守ること |
忍辱 | にんにく | 苦しさや困難に耐えること |
精進 | しょうじん | 最善を尽くして努力すること |
禅定 | ぜんじょう | 心を落ち着けて動揺しないこと |
智慧 | ちえ | 真実を見抜く力を身に付けること |
この六つの心掛けのことを言います。
自身の今までの行いの中で、これらの心掛けが足りなかった事があればそれを反省し、せめて彼岸の7日間は、これらの心掛けを念頭に置いて行動するようにしてみませんか。
「ぼたもち」と「おはぎ」
さて、ちょっと本題から外れますが、お供え物の定番の「ぼたもち」や「おはぎ」について、少しお話ししましょう。
どちらも、蒸して軽く叩いて潰したもち米を餡で包んだものですが、この二つは何が違うのでしょうか。
呼び名の違い
基本的には、「ぼたもち」と「おはぎ」は同じものですが、季節によって呼び方に違いがあります。
春は、牡丹の花が咲くことにちなみ、「ぼたもち」と呼びます。ですので、漢字で書くと「牡丹餅」ですね。
秋は、萩の花が咲くことにちなみ、「おはぎ」と呼びます。漢字で書くと、「御萩」です。
ただし、これらは諸説ありで、ここでご説明した以外にもいろいろ説があるようです。
形の違い
牡丹は大きくて丸い花なので、「ぼたもち」は大きめで丸く作ります。
萩は小さくて細長い花なので、「おはぎ」は小振りの俵型に作ります。
餡の違い
餡の原料となる小豆は秋に収穫されますので、獲れたての小豆が使える秋の「おはぎ」は、小豆を皮ごと潰した粒餡を使います。
春の「ぼたもち」は、冬を越して硬くなった皮をとったこし餡を使います。
このように、呼び名や形、餡に違いはありますが、特に現代では、あまりこだわりもないかも知れないですね。
また、地方の風習によっても、いろいろと違いがあるようです。
「夜船」と「北窓」
「ぼたもち」(「おはぎ」)には、夏と冬の洒落た呼び方もあります。
【夏】
(もち米を杵でつく訳ではないので)いつついたかわからない
⇒ (夜の船は闇に紛れて)いつ着いたかわからない
⇒ 「夜船」
【冬】
(もち米を杵でつく訳ではないので)つきを知らない
⇒ (北の窓からは月が見えないので)月を知らない
⇒ 「北窓」
というように、夏のぼたもちを「夜船」、冬のぼたもちを「北窓」といいます。
何とも洒落た呼び方ですよね。
まとめ
お彼岸について、少しはご理解いただけたでしょうか。
忙しい毎日ですが、せめてお彼岸の時くらいは、ゆっくりと先祖や故人のお墓参りをして、自身の行いを振り返ってみるような時間を持ちたいものですね。