いくつになっても Good Job!

何歳になっても、好奇心旺盛、ポジティブ指向でGood Jobを目指していきたい!



ソメイヨシノの儚くも悲しい運命(さだめ)のお話。【桜前線北上中!】

 

f:id:ogihara0308:20180320010356p:plain

 

 はじめに


桜の季節がいよいよ近づいてまいりました。


気の早い早咲きの桜は、もう花をつけ始めています。
桜の開花予想もいろいろなサイトで出ていますが、東京地方では、開花予想が3/21、満開予想が3/24ということです
今週は中盤から天気が崩れそうなので満開時期も少し遅れそうな予感ですが、いずれにしても、今週末から来週末にかけて、一気に開花が進み、お花見シーズンへと突入していくのではないでしょうか

 

さて、日本では桜というと「ソメイヨシノ」が一般的ですね。


桜の日本固有種としては、オオシマザクラ、ヤマザクラ、エドヒガンなど約10種類ほどありますが、ソメイヨシノは江戸時代に交配によって生まれ、第二次世界大戦以降に爆発的な勢いで植樹されて日本全土に広まった改良種です

 

そのソメイヨシノですが、人間の手を借りなければ、約100年ほどで絶滅してしまう品種だと言われています。


満開の時期にはとても可憐で美しい花を咲かせるばかりでなく、その散り際さえも美しいソメイヨシノは、日本人の心の原風景であり、拠り所であると言っても差し支えないでしょう。

 

今回は、そんなソメイヨシノの儚くも悲しい運命(さだめ)のお話です。

 

日本全土のソメイヨシノはクローンであるという事実


日本全土で美しい花を咲かせるソメイヨシノですが、日本固有種ではなく、エドヒガンザクラ(母)とオオシマザクラ(父)の交配で生まれた改良種です。


その原木は上野公園にある1本の木であり、現在日本国内にあるソメイヨシノは、その原木から接ぎ木や挿し木で増殖されて広まっていった「クローン」なのです。

 

普通の植物であれば、花が咲いたら受粉を行い、結実して種ができて、その種を蒔いて増やしていくことができます。
しかし、桜には強い「自家不和合性」という性質があり、同一固体(自身)の花粉では受粉できません


何十本、何百本とソメイヨシノが群生していても、それらは皆クローンなので同じ遺伝子を持っているために、すべてを自分自身とみなしてソメイヨシノ同士では受粉ができないのです。

 

もちろん、他の桜の品種との交配は可能です。ヨメイヨシノの雌蕊に他の品種から受粉することも、他の品種の雌蕊にソメイヨシノから受粉させることは可能であり、いずれの方法でも種を取ることはできますが、他の品種の血が混ざってしまうために、純粋なソメイヨシノの血統ではなくなってしまいます。

 

純粋なソメイヨシノの血を絶やさないようにするには、人間の手で、接ぎ木や挿し木をするしか方法はないのです。

 

何という悲しい運命なのでしょう。

日本人に長い間愛され続けてきたソメイヨシノという桜が、自らの力だけではその血を存続せていくことができないとは・・・。

 

ソメイヨシノが生んでしまった問題

 

日本全土で美しい花を咲かせているソメイヨシノですが、これにはまた別の問題があることも認識しておかなければいけません。
それは、植物界のみならず動物界でも度々問題として取り上げられる、「外来種が固有種を淘汰してしまう」という恐れがあることです。

 

一つの例ですが、ソメイヨシノの父親はオオシマザクラといって関東以南、特に伊豆諸島で多く見られる品種なのですが、ソメイヨシノが日本全土に広まってその土地の野生種の桜と交配してしまったために、本来オオシマザクラが生息していない地方でも(ソメイヨシノを通して)オオシマザクラの遺伝子が確認されたということです。

 

ソメイヨシノが野生種の桜の遺伝子に取り込まれるという事態は、実は密かに進行しており、植物界の生態系に影響を与え始めているのです。

 

ただ、これについては、ソメイヨシノの植栽が学校や公園などの他の野生種の桜があまり見られないところに集中していること、および桜の日本固有種が希少種ではなく勢力分布的には全然問題になるレベルではないことなどから、今のところは大きな問題にはなっていません。

 

現在一部の果樹などでは同様の問題が発生しており、地方自治体の主導で植栽を管理しているものもありますので、将来的には対応が必要になってくる可能性も否定はできませんね。

 

最後に

 

もうすぐ、街角の街路樹や公園、学校などでソメイヨシノが美しい花を咲かせ始めることでしょう。


人間と共存することでしか生き続けることのできない儚くも悲しい運命を背負ってしまったソメイヨシノですので、これからもずっとずっと愛し労り続けていきたいですね。


それが我々の責任なのではないかと思う、今日この頃です。